日記(4月9日、10日)

4月9日火

休み。4月になったことを忘れている。花見に行きたかった。

朝から雨と風が強い。

午前は集まりに参加。倍くらい歳上の人たちと健康と墓の話。散骨には許可が要るらしい。

 

午後は平日の寝不足を取り戻すべく寝る。やっと頭がスッキリした。

夜、持ち帰ってきた仕事に手をつける。夜中までやる。3時ごろ就寝。

 

 

4月10日水

前日の夜ふかしの影響で起きられず、昼過ぎに支度を終える。シャワーを浴びながら、いい加減、両親との関係に期待をするのはやめようと思った。変わらないんだ。ぼんやり撮り溜めたドラマを観る。

 

・虎に翼

くるり

・Destiny

ユーミンストーリーズ(春よ来い)

・Roots

 

夕方また少し寝て、夜はまた集まりに参加。

休日は平日の疲れを取るために溶かしてしまう。やることがひとつも終わらないまま、休みは終わる。

 

基本的に何かに依存して生きてきたように思っていたが、あらゆる選択は自分でしている。他人の言いなりでも、他人の言いなりになることも最終的には私が決めたこと。ただ私が私の頭で決めた選択が今の自分を作ってるだけ。全部自分だった。それが軒並み失敗だっただけだ。やらない理由ばかり並べ立てて生きているが、結局失敗しかしていないのであんまり考えすぎずに動きたい。

 

 

 

4月のはじめ

気がついたら4月だった。

 

◯2月〜3月とずっと苦しかった。精神の不安定さが普段より激しかった。でもずっとずっと苦しいのだと思う。わたしは物事の悪い面ばかり見て嘆く。他責する。自責する。周りに当たり散らす。自分が安心するために他人を見下したり心の中で罵倒したりする。きっと落ち着くことはないのだと悟った。

 

◯日記を書こうとしたことは何度もあったけど、書きたいことのすべてを書ききることはできないと思うと書けなかった。考えごとは日々浮かんでは消える。網羅的に全てを書きたい。そんなことは不可能。

 

◯苦しい間、縋るように本を買い漁ったこともあった。本屋に行く気力がなくて、Kindleで哲学の入門書などを買って読んだ。先週、久しぶりにジュンク堂に行けて、人文学の本棚に立ち寄ったら、その本の並びにわくわくした。そこで購入した岸政彦著『街の人生』を読み終わり、今日から『断片的なものの社会学』を読み始めた。スマホで文章は日々読んでいるはずだけれど、雑多な情報を読み漁ることと、紙の本を読むことは違うように感じる。本を読んでいると頭の中の引き出しの整理をしているような気分になる。ばらばらになった書類を整理するような清々しさがある。一人の著者のテーマのある文章を、順番に読んでいくのがいいのかもしれない。

 

◯岸政彦氏がテレビで『普通』という言葉を『その人のありのまま』という意味で使うと語っていた。わたしが普段思う『普通』はそれとは全く異なる意味で、その『普通』にいつも苦しんでいたから、わたしもそっちの意味の『普通』を使いたくなった。

『街の人生』のまえがきでも印象的な文章が並んでいて、みんな選択しているようで、与えられた選択肢の中から選んで生きるしかなくて、自分の目の前の人生を生きるしかなくて、引用したいけどいま手元に本がないのでもし気が向いたらあとで。

 

◯わたしはわたしのために、わたしの『普通』の人生を生きて、その『断片』を日記に書いていこう。

 

 

年始

気が付いたら年が明けて10日過ぎていた。

 

年末を振り返ることも、年始に今年一年の見通しを述べることもしなかった。12月から気持ちの浮き沈みがはげしく、その時々で思ったこと/考えたことはたくさんあったはずなのに、それを書き留める気にすらならなかった。

 

仕事納め、年末年始休み、仕事始め、あまりに不安定で会社でぼんやり、イライラが抑えられずに当たり散らす、急に泣けてくる、でも目の前の仕事を整理できないまま行き当たりばったりに進める。毎日残業しても一向に落ち着かない。年末年始にも仕事を持ち帰ったが、不安が膨らむだけだった。胃腸の調子は最悪で、正月のごちそうは今年も食べられなかった。蟹、しゃぶしゃぶ、高いアイス、数の子、家族が楽しそうに食べるのを横目に、毎日吐き気と胃のむかつきを抱えて虚ろに過ごした。休みになるといつも体調を崩す。

 

よく思考を整理するために、すっきりするために、手を動かしてなんでも紙に書いてみるとよいとよく言われているけれど、それもする気にならない。

 

頭の中にもやがかかったような感覚がずっと続いている。晴れることはない。ずっと「どうしたらいいんだろう」「どうしようどうしよう」とぼんやり考えて、その答えはでない。

 

ここ10数年で一番追い詰められている。残業が多いので家族も気にするようになり、以前より話を聞いてくれるようになった。「そんな会社やめていいよ」とまで言ってくれた。それを内心うれしいと思っている自分に気付いた。ずっとずっと不幸が好きで、かわいそうになりたい、かわいそうな立場ならかまってもらえる、それだけ見ていれば何もしなくていいから。そんな心理が根底にあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

一方で、弱いことは不幸だと感じる。強ければ、賢ければ、この状況をたくましく乗り越えられるかもしれない。弱くて不幸ぶってもだれも助けてはくれないことはもうずっと前から気が付いていたはずなのだ。ならば汚らわしくてもたくましく自分で生きるしかない。

 

学生のときに人間関係に躓いてから、ずっと現実から逃げて、向き合わずに生きてきた。自分の人生を投げ出した状態で「何もしない」で生きてきた。できるだけ「自分」を消したかった。そしたら何もないまま大人になり、中年になった。場の空気を壊さないようにできる限り存在を消したかった。この歳で経験も関係も世界も狭くて浅く、学んだことも少なく、稚拙で幼稚でいつまでも中学生でも分かることが分からない。いつも受け身で他人任せで言い訳がましく依存的で能動性がない。加えて数年前から体調を崩したことで日常生活がままならなくなり、生きていくことに対する自信を一切なくした。

 

きっと、自分の至らなさを、「普通」「まとも」にはどうしたって馴染めないことを、受け入れるしかない。諦めたら成長できないからって意地になって受け入れないのではなくて、もうこの歳でこんな感じなら、これから大幅に変われるわけはなくて、負けを認めたうえでそれでも生きてゆくこと。生き延びるにはどの位置に心を置いておけばいいのだろう。苦しくても変われないなら。変わらないなら。やり方変えるしかないのかもしれない。甘えたことを言っている。でもその甘えたことを甘えだと気が付けないままずっとくだらないことをいいながらきっと誰にも相手にされずに生きていく。

 

信仰は、おすがりする気力も失った。魔法ではない。今までの思い込みや刷り込みをなくして意識をゼロベースにして、本当にそれを信じることができるか、自分の頭で考えてみたい。

 

 

自分で考えて決めて生きること。それができないと、仕事が何であれ、生活がどうであれ、ずっと不安でずっと不幸なままだ。

 

納会

12月26日火曜日

 

会社の納会だった。

自部署は運営側なので、お客さんとして楽しむことはない。四年ぶりの開催となった今年は、例の同僚の退職により残されたメンバーでの運営となる。なんの引き継ぎも受けていない私がお手伝いをすることとなった。振り返ると段取りを誤った箇所が多々あった。特に片付けは、終了時間が勝手に変更になり、退出時間が迫る中で片付けながら、忘れ物の発見と持ち主探し、新卒インターンの対応、酔い潰れた人の介抱、クロークにコートを置いて帰る人たちの呼び出し、忙しなく動き回ったけれど、非常勤役員のアテンドは後手に周ったというか放置してしまい、全体的に空回りだった。新卒さんは待たせるのも悪いのでとりあえず帰ってもらったけど、偉い人たちに挨拶させるの忘れた。酔っ払いは放っておいても良かったが、会場から出ないとまずいし、外で事故にでも遭ったら大変なことだと考えた。その人の所属長は電話が繋がらなかった。そういえば主担当の彼は何をしていたのだろう。

ていうか大人なんだから非常勤役員も酔っ払いその他のみんなも、自分の足で指示通り帰って欲しい。

 

酔い潰れた人はとりあえず会場から出てもらったがタクシーで帰れるような状態ではない。引き受け手がなく、二次会に行くらしい本社メンバーが預かってくれた。その集団の最後列に付いて少しずつ距離を広げ、帰宅した。

 

お酒を一滴も飲んでいない私と、他は大体飲んでベロベロの人たち。上手くいかなかったことを思い出して、どうしてこんな気まずい思いをするのだろうと考えて辛くなる。きっと主担当の彼は反省点とかないんだろう。

 

けれど会としては概ねみんな楽しそうで、小競り合いもみえるところでは起こらず、営業会社らしい楽しいものとなったと思いたい。会場の端の席から様子を眺めて、良かったと思いながら絶対にこの会社には馴染めることはないと冷静に確信した。孤独とか悲しみではなくて、ただ事実として冷静に確信してしまった。

 

二次会の集団を見送ったとき、頭を抱えて座り込みたい気分になった。トボトボと歩いて、精神がざわついていたので、本屋をぼんやり彷徨って欲しい本を選びながらふらふらして帰った。

 

 

一日

2023年12月16日~25日

 

システム入れ替えや年末調整、給与計算等の対応に追われた。

帰宅が遅く、休日も活動が入ったりして、この期間ずっと、一日の切れ目が感じられなかった。ずっと繋がったままの、長い一日のようだった。

推しの配信イベントも複数回行われていたが、そのすべてに参加できず、アーカイブを観る気にもならなかった。現実に追われて楽しむ余裕がない。予約していた雑誌が届いても開封する気力もなく置いたままになっている。

 

退職する同僚Aの業務は別の同僚Bが大体引き継ぐことになったが、以前から彼にはそもそもの事務スキル、判断力、モチベーションに疑問を抱いている。彼は一人で業務を完遂することができない性質を持っていて、段取りから業務内容の精度からタスクのリマインドまで、同僚Aがずっとフォローしていたことを知っている。同僚Bが業務を引き継いだらそれらを理解できず、実行できず、別の人に引き継ぐにも必要な情報を伝えられない、そんな未来が見えてしまう。課全体の業務の精度が根幹から揺らいでしまわないように、これまで以上に彼の行動に注意しながら業務を進めなければならない。その深刻さはこの引継ぎが始まったときに役員と上司にしっかりめに伝えたけれど、結局上司は引継ぎはほとんどノータッチだった。4月から新卒女子が入社するが、新卒女子の世話も上司はきっとやらない。なんとなく私がやることになるのだろう。そもそも彼女は同僚Aを管理職にするためにマネジメント経験を積ませたくて採用したのだった。彼女はそれを知る由もなく、数奇な運命だと思った。

私も引き継ぎを受けたいと申し出たが、同僚Aの判断でそれはなかった。確かに現在の担当業務とシステム入れ替えの重さを考えると受け取る余裕はない。むしろAの手を借りながらやっと成し遂げられるかもしれないと感じていたくらいだ。それに私ができるとなると、本来引き継ぎを受けるべきBが「私ができるからいいや」となるからダメなんだそう。

退職するAは当然やめた後の会社のことなど知ったことではないし、担当役員も体調不良であまりこの事態に興味をもたず、上司も来たばかりで深刻さを理解していない。引き継ぎを受けるBは自分がフォローを受けて仕事を進めていた自覚がなく、自己肯定感も高いので「やるしかない」と口にするがそれには根拠がない。だれも当事者意識がないのだった。私ばかり焦りが募らせているようだった。

何も引き継いでいないのに勝手に重圧を感じて頭がいっぱいになり、日々気力を吸い取られるように過ごす。仕事に集中できず残業が増え、帰宅が遅くなって睡眠時間が減り、頭の上澄みでしか物事が考えられなくなって更に進行が遅れて残業が増える悪循環だった。

加えて、送別会やプレゼント、花や寄せ書きの手配も重なった。同僚Bがやると言ってくれたが、ちっともやる気配がなく、結局花束の注文と受け取りだけやり、残りはすべてなんとなく私が手配することになった。下手くそな段取りで進める。Aは社内に関係の悪い偉い人がいて、そういったものは辞退したいといわれたが、担当役員が許さなかった。Aの希望に反していること、やっても喜ばないのに、担当役員が「ちゃんと送別した」という満足を得るためだけに手配することに疑問を感じた。結局お葬式のような雰囲気の中、送別会、花束とプレゼントと寄せ書きの受け渡しを行った。喜んでもらえないことを必死に準備することはとてもむなしかったし、何より終始気まずそうにしていたAに申し訳なかった。Aもこちらに申し訳なさそうにしていて、お互いに不幸な時間だった。せめてもの思いで、彼が喜ぶであろう品を別途渡した。

このタイミングで退職を決断したAのことを恨めしく思うときも多々あるが、その一方で転職先の話を聞くと彼に適した職場だと感じられて、彼はとても晴れやかそうにして、楽しそうにしていて、それがこちらにも伝わってくる。せめて幸せな転職になってほしいと願う。

今後の自分が直面する現実がまだよくわかっていない。わかりたくないのかもしれない。

12月15日金曜日

 

 

仕事は一段落したようで全然していない。これまでやってきたものを士業の先生に大丈夫と言ってもらえて安心した。

上司から食事に誘われて、咄嗟に不自然にならないような言い訳を考えて断る。今回は上手くいったけれど、次回はどうしよう。追い詰められる。

つぎの大きな業務で早速ミスをした。

同僚は前日の失言を認識しているらしく、謝罪を受けた。結果的に作業は終わったからもういい。無理して振る舞っているのがよく分かって辛い。我慢が限界に達したときに返ってくる反応を想像して暗い気持ちになる。

心に余裕がなくテンションがおかしくなっている。明るくというか投げやり。色々が面白くなってヘラヘラする。性格が悪い人の笑い方をする。

考えても仕方ないことをジメジメと考えてしまう。視野も狭い。もっと気楽になってもいいのか。

ころころと気分が変わる。体調は相変わらず優れない。頭の上澄みだけで考えてる状態が続く。

仕事ができない自分がわるい。人としての当たり前ができない自分がわるい。

感情

12月14日木曜日

 

仕上げなければならない仕事が終わらない。同僚の余計な一言に動揺する。これまで、いつも彼の意見を通してきた。彼の意見が通らなかったときの不機嫌ほどきついものはない。でも今回ばかりはあまりに身勝手に思えて、私の思う方向で進めた。終わらせられない自分が悪いが、終わらない原因のひとつは確実に彼にある。結局他の上司同僚に手伝ってもらって作業を終わらせた。21:30頃退勤。翌日の彼の態度が今から恐ろしい。

 

そのほかにも彼の言動に振り回され、疲弊する。振り回される方が悪いなと眠いあたまでぼんやり考えた。

 

物事は見る方向によって全く見え方が違ってくる。同じできごとも、人によって捉え方が違う。全く同じ考えの人なんていない。そのどれもが間違っていない。絶対的な正解なんてどこにもない。そのことに果てしない気持ちになってくる。結局人はひとりで、孤独。

 

恨みや憎しみといった負の感情に時間と労力を割くことは虚しい。自分はどう生きたいのか。