水しか飲めない

会社員の日記

日記

3月6日(月)

 

仕事。

どうしようどうしようと不安で、投げやりに働いた。懸案はどうにかMTGを持つことになった。なんか大事になった。その他の業務も適当で、うまくやれるはずがなく、電話一本もちゃんと取り次げない気がした。私なんにも本当になんにもできない。調整も何もない。言われたことを正確に上司に伝えることもできない。仕事をしに来ているのに、その意識が薄くて、どうしても助けてほしい、甘えたい、甘えたい、変でもおかしくても受け入れてほしい、みたいな我がでてきて、傲慢でしかない。誠実も謙虚も一ミリもない。本当に投げやりですっきりした気になるけど、ただ問題児なだけだと思った。

 

退勤、帰宅、夕食、たくさんたべる。

母はやはり何も聞いてくれなくてうんざりする。無視するからね、って言ったら無意識らしいよ。そんなわけないよ。聞きたくないことは聞かなかったことになるんだよ。そういうことだよ。SNSを観たりする。MVとかたくさんみて気を紛らわせる。

 

3時頃就寝。

 

日記

3月5日(日)

 

仕事。前からの懸案がずっと放置されていたこと、上司に報告する。いろいろ言われたけどどうしたらいいか分からない。いつも分からない分からないといって投げ出して同僚や上司に面倒を見てもらってその場を逃げ切るということしか、やり過ごすことしかしてこなかったので力がない。仕事ができない。半休を取って帰ってしまったのでその後どうなったかもわからない。いまは一方の上司が怒っていないかが心配なのだ。あの人にただでさえ距離取られてるのに、これ以上きらわれたらここではやっていけない。同僚にも呆れられたように話された。あっちにもこっちにも悪くならないように振る舞うから矛盾しかないしとてもとても苦しい。

結局ひとに頼らないとやっていけない。そもそもやっとの思いで就職させてもらって、仕事できないのに歳だけとって、下の子を上げるために私も昇格させてもらってきた。それだけであって社会人としての常識もないしやりたいこともないしできることもない。本当に何にもない。こんな奴がここにいていいのかってよく思ってた。だめだよ。何にもできない。本当に何もできなくて毎日なにをやってるんだろう。こんなお給料もらっていい人間ではない。ていうかお金もらっていい仕事してない。

いつのまにか自分は役職もらったからできると思われてるし実際できるって勘違いしてた。全く違った。

どうしたらいいか親に窮状を話しても質問しても本当に本当に綺麗に無視して別の話を振ってきた。この人に期待しても無駄だし、もう子育て?から解放してあげないといけないと思った。自分で決めないといけないんだって。分からない。具合悪い。けれど家から出る様々な決定や検討や行動が、それすらできない自分になっていた。

怠けて甘えて逃げてずっと生きてきたから成長がなくて、結局一番不幸。身動きが取れなくなってしまう。どんどん追い詰められていく。

 

現実逃避しても、仕事しても、家にいても、ずっとずっと常に苦しい。何していても苦しい。原因が自分だから。

 

23時過ぎて就寝。

日記

3月4日(土)

 

仕事。

 

結局、私は自分を背負ってくれる他人や物事を探しているだけだった。孤独が辛いのではなくて、背負ってくれる存在のないことを嘆いているだけなのだった。そんなものはないのに。自分は自分を生きるしかないのに。自分で決めるしかないのに。内に内にこもって、狭い視野でしか物事を見れないのだった。

 

帰宅して夕食。たくさん食べるのをやめられない。弱い。取り憑かれたよう。NHKの震災のドラマを観る。親が見たいというのでつけたが、怖くて見ていられなかった。というか泣きそうになる。親は平気で見ていた。

 

勉強したい分野の本を少しだけ読む。23時過ぎに就寝。

 

日記

3月3日(金)

 

仕事。

ルーティン業務をひたすらこなしていると、私は本当は少しで終わる仕事を伸ばして伸ばして時間を稼ぎ、忙しいフリをしている気持ちになる。本当にそうなのかもしれない。それを隠して隠していつかバレて場を追われるのではないかと思う。同じ部署で募集をかけることになって、若い女性をとりたいのだそうだ。私の場所なんてもうないのかもしれない。イライラしてバタバタ働いたけどさほどスピードは上がらない。私はここで人を騙して迷惑をかけて給料をもらってのさばっている。

 

本を読んでみるけれど、具体的にこれから何をどうしていったらいいのかわからない。若い頃にも読んだはずの本、全然読んでなかったことがわかった。人生は結局自分で決めるものだ。簡単ではない。勝負であり、敗北は虚しい。って書いてあった。全然覚えていない。読んでなかったんだと思う。

 

中学の時も今回も、周りは全然褒めてくれないのだ。いや当たり前だけど、そうなのだ。自分のためのものなのに、他人から褒められないと価値を感じられない。ずっとずっと引っ掛かってる。私じゃなくて姉が受かるべきだった、私じゃなくて同僚が受かるべきだった。努力してないのにうっかりなんとなく受かってしまった。受かった時に親が私が食べられないものを買ってきたことがなぜかずっとずっと許せない。当然口にだして言ってないのだけど、なんでこんなに腹が立つのかわからない。

 

自分で決めるしかないことを決めないでここまでずるずるやってきて、決めてやってきた人を羨んで、自分を守りたくて仕方なくて失敗したくなくて自分が恥ずかしくて隠れたくて逃げて逃げて、今がある。たくさんの失敗しかないけど、でもそれでも私はその時々で必死で、下手すぎるし周り見えてないしアホだけどそれでもそれが必死だった。

常に吐き気と胃の気持ち悪さ。胃腸がゴロゴロしている。なんでこんな被害者の気分なのだろう。いつもわたしは後回しで誰かの犠牲になっているとしか思えない。自分で自分を亡くしてしまってるのか?自分で自分を疎かにして否定して痛めつけているからですか?具体的にいまからなにをしていけば良いのかも分からない。投げやりになってもいけない。生まれながらにして卑しいし育ち方も卑しかった。それだけ。

日記

3月2日(木)

 

仕事。上手く作業が進まなかった。人と話すのがこわい。ちゃんと話せない。同僚と変な感じになる。どうしてもちょっとしたことでイライラしてしまい、落ち込む。休憩時間に本を読んで自分の愚かさを改めて感じる。もう手遅れというか、どうしたらいいか全く分からなくなった。

定時をしばらく過ぎてから退勤。風がとても強くて電車の待ち時間がつらかった。帰宅して夕食、また食べすぎる。食べていないと精神が保てない。間違っているのはわかっている。

寝る前にくどうれいんのエッセイを読む。一番初めの「目分量の日々」を読んで面白すぎて目が覚める気持ちがした。本を読むときはその瞬間だけ自分の思考から離れられる気がするのでいいなと思う。

 

 

 

 

私は数が数えられない。昔、学生の頃に工場の日雇バイトをしたことがあって、その時に気づいたこと。ラインのスピードに合わせてネジとかの数を数えていくのだけど、どうしても数えられなかった。結局適当に数えているふりをして済ませた。ちゃんと仕事ができない。責任が持てない。教科書は読めるけど実技はできない、そんな感じ。表現がし辛いけれど、自分で動いた結果、完結するような仕事ができないというか、給料などの対価をもらう代わりに労務を提供するわけだけど、その提供がひとりでできない。ふわふわした仕事しかできない。子どもの頃からなんでも親がやってくれていたというか、指図されて、信用されてなくてすべて後から直されてきたけれど、自分でなんとかする力が一切なくて、ちゃんとできない。誤魔化して取り繕って体裁を整えることをしてしまう。カフェのバイトでも、フードでもドリンクでも、ちゃんとできない。とりあえずお金をもらい商品を出すということをしなければならないから、フードは例えば具材が足りなくても見た目が美しくなくても出すし、ドリンクもマニュアル通りにつくるけど結果には責任が持てない。すぐパニックになって落ち着いて行動できない。いまの仕事でも、私は数が数えられないなとぼんやり思っている。それを取り繕うために意味のわからない言葉を並べて相手を怒らせたり不審がらせたりもする。人生の進め方も同じこと。悲惨なまま放置している。ちゃんと中身をみてちゃんと中身のある仕事ができないし、人の気持ちも分からないし、結局ずっとずっといつでもどこでも居場所がない。奇行に走ってばかりいて周りが見えていないし、当然周囲の人々の視野には入らないしコミュニティの一員として認めてもらえるわけもない。まともな1人としてカウントしてもらえない。ずっとずっと孤独で弱くていじけて内にこもっている。優しい人がわざわざ助けてくれないとやっていけない。その搾取しようとする意地汚さが滲み出ている。いろいろなことがままならないままずるずると生きている。

 

日記

3月1日(水)

 

休み。もう3月。そろそろ2023年にも慣れてきたと思いたいけど、全然慣れない。まだお正月くらいの気分なのに。起きたら目が腫れていた。

 

本当に何もしないで過ごす。何していたか思い出せない。TVerで『本屋さんに住みたい』の又吉さんの回を見る。又吉さん、最近あまりテレビでは見なくなった気がして(私の見るテレビに出ていないだけだと思う)、久しぶりに見た。ああこの人は成功した人だなと思って、そりゃテレビ出る人だからなと思って、くどうれいんさんのエッセイや伊藤紺さんの歌集は私も持っているものだったから嬉しかった。

 

YouTubeを観て、朝ドラ観て、ぼんやりして、心がこもる。家から一歩もでなかった。出かけても家にいても虚しくなる。何してるんだろうか。勉強は、一枚だけやった。期限が迫っている。せめてこれくらいやらないとという気持ちと、やっても意味ないなという気持ち。

 

つくづく勉強に逃げていた。言い訳していた。何も変わらない。歳だけとって、どんどん生きづらくなる。若い故の欠点と思ってもらえていたものが、そうではないことがバレるから。未熟さではなくて本質的に劣っていることが明らかになるから。

人と話すのが苦痛。働くのが苦痛。生きるのが苦痛。それでも生きなければならない。毎日苦痛ってなんだよ。なんでこんな不幸な顔して、世の不幸を背負ったような顔して生きているのだ?

自分が自分を背負って生きなければならないのが苦痛。この狂った人間、ズレてて馴染めない人間、そうであることが仕方がないのにとてつもなく重たく感じることがある。

私はどうしたいのだろう。仕事でも休みでも苦しさの種類が違うだけ。何をしていても辛くて苦しい。甘えている。何が苦しいのか何が辛いのかも分からなくなってくる。それでも苦しい。圧倒的な孤独。

 

春めいてきて暖かいらしい。家から出ていないから分からない。23時過ぎてから就寝。

日記

2023年2月28日(火)

 

休み。

遅めに起きて支度、9:30から仕事関係のWEBセミナーを視聴。知っている内容も多くて眠くなった。13:30からある集まりに参加。自分はつくづく受け身のコミュニケーションしかとれないなあと思う。相槌。近所のお世話になっている方に「早く結婚した方がいいよ、子供産めなくなるよ」と言われて、笑って流した。

すごく暖かい日で、花粉症の症状が本格的に出始める。目がのどがかゆくて仕方ない。

 

帰宅後は映画やドラマを見た。勉強しなくてはならないと思いながら何もしなかった。見たのは『猫は逃げた』『愛なのに』『死神さん』など。なんか映画のサムネイル?からは想像もつかないような感じがあり、驚いた。河合優実さんという女優さん、これからどんどん知名度あがるんだろうなあという印象。すでに人気あるのかもしれないけれど。

 

母から何気ない会話で「孫の話になると私は参加できないなと思って困る」みたいな発言があり、大変腹が立つ。何をいっているのか。意味が分からない。昼間に言われたことも含めて、嫌になった。それでも私は我慢しないといけないのだそうだ。20代後半から体調を崩して今も生活に支障があり、それから精神の不安定も不安感も強くなってつらい日々になっていて、そこから抜け出す方法が見つからないでいる。母に依存していると思うし、家に引きこもっているような状況で、考えも幼くて歪んでいてわがままで自己中心的で、仕事は仕事自体もできないし、人間関係もうまくいかない。自分が悪いのは分かっているけれど、苦しい。そしてそのはけ口として食べ過ぎてしまう。吐き気がするのにどんどん詰め込んでしまう。自分を追い詰めるよう。これ繰り返すと水すら受け付けない状態に陥る→会社行くのも無理になる→摂食障害みたいになって頭おかしくなる→食べ物のことで頭がいっぱいになる→病院行く→薬もらう→数か月通う→従前の状況には戻らない。これ1回やってて、その度に体力が失われ、気力が失われ、精神がすり減り、といった感じになるので非常にまずいのに抑えられない。

私は結婚したくないし子供も産みたくない。人間が怖いのに何で人間を産むんだよ。うちの両親は人間的なレベル、知能とか人間力とか、が低くて、社会的にも低くて、やっとこさしがみついている部類なのだ。親戚づきあいもうまくできないし、交友関係も狭い。発言も過激で配慮がないし、考えも浅いし、思い込みも激しい。そんな人間が家庭をもち子供を産むと、子供が不幸になる。社会になじめないのに産み捨てられて、さあどうぞ、といった感じ。ちゃんと社会になじめるように育ててほしかったけど親自体なじんでないんだから無理だね。普通になりたい。普通になりたかった。健康でないことがこんなにも精神にくるものとは。そして治らないから、つらいことである。

泣いても仕方がないのに涙が出てくる。ずっとずっと苦しい。なんでほかの人ができることができないのだろう。こんな悲惨なみすぼらしい状況で生きているのだろう。頭がおかしいのだろう。この先どうなってしまうのだろう。自分の怠惰が原因なのは分かっているけれど。

なんなんだろう自分。他責。他責。バカみたいだ。みんなそれぞれの地獄を頑張って生きているらしいけれど。私は生きていけない。

 

結局勉強もしないでぼーっとSNSを見て過ごす。