一日

2023年12月16日~25日

 

システム入れ替えや年末調整、給与計算等の対応に追われた。

帰宅が遅く、休日も活動が入ったりして、この期間ずっと、一日の切れ目が感じられなかった。ずっと繋がったままの、長い一日のようだった。

推しの配信イベントも複数回行われていたが、そのすべてに参加できず、アーカイブを観る気にもならなかった。現実に追われて楽しむ余裕がない。予約していた雑誌が届いても開封する気力もなく置いたままになっている。

 

退職する同僚Aの業務は別の同僚Bが大体引き継ぐことになったが、以前から彼にはそもそもの事務スキル、判断力、モチベーションに疑問を抱いている。彼は一人で業務を完遂することができない性質を持っていて、段取りから業務内容の精度からタスクのリマインドまで、同僚Aがずっとフォローしていたことを知っている。同僚Bが業務を引き継いだらそれらを理解できず、実行できず、別の人に引き継ぐにも必要な情報を伝えられない、そんな未来が見えてしまう。課全体の業務の精度が根幹から揺らいでしまわないように、これまで以上に彼の行動に注意しながら業務を進めなければならない。その深刻さはこの引継ぎが始まったときに役員と上司にしっかりめに伝えたけれど、結局上司は引継ぎはほとんどノータッチだった。4月から新卒女子が入社するが、新卒女子の世話も上司はきっとやらない。なんとなく私がやることになるのだろう。そもそも彼女は同僚Aを管理職にするためにマネジメント経験を積ませたくて採用したのだった。彼女はそれを知る由もなく、数奇な運命だと思った。

私も引き継ぎを受けたいと申し出たが、同僚Aの判断でそれはなかった。確かに現在の担当業務とシステム入れ替えの重さを考えると受け取る余裕はない。むしろAの手を借りながらやっと成し遂げられるかもしれないと感じていたくらいだ。それに私ができるとなると、本来引き継ぎを受けるべきBが「私ができるからいいや」となるからダメなんだそう。

退職するAは当然やめた後の会社のことなど知ったことではないし、担当役員も体調不良であまりこの事態に興味をもたず、上司も来たばかりで深刻さを理解していない。引き継ぎを受けるBは自分がフォローを受けて仕事を進めていた自覚がなく、自己肯定感も高いので「やるしかない」と口にするがそれには根拠がない。だれも当事者意識がないのだった。私ばかり焦りが募らせているようだった。

何も引き継いでいないのに勝手に重圧を感じて頭がいっぱいになり、日々気力を吸い取られるように過ごす。仕事に集中できず残業が増え、帰宅が遅くなって睡眠時間が減り、頭の上澄みでしか物事が考えられなくなって更に進行が遅れて残業が増える悪循環だった。

加えて、送別会やプレゼント、花や寄せ書きの手配も重なった。同僚Bがやると言ってくれたが、ちっともやる気配がなく、結局花束の注文と受け取りだけやり、残りはすべてなんとなく私が手配することになった。下手くそな段取りで進める。Aは社内に関係の悪い偉い人がいて、そういったものは辞退したいといわれたが、担当役員が許さなかった。Aの希望に反していること、やっても喜ばないのに、担当役員が「ちゃんと送別した」という満足を得るためだけに手配することに疑問を感じた。結局お葬式のような雰囲気の中、送別会、花束とプレゼントと寄せ書きの受け渡しを行った。喜んでもらえないことを必死に準備することはとてもむなしかったし、何より終始気まずそうにしていたAに申し訳なかった。Aもこちらに申し訳なさそうにしていて、お互いに不幸な時間だった。せめてもの思いで、彼が喜ぶであろう品を別途渡した。

このタイミングで退職を決断したAのことを恨めしく思うときも多々あるが、その一方で転職先の話を聞くと彼に適した職場だと感じられて、彼はとても晴れやかそうにして、楽しそうにしていて、それがこちらにも伝わってくる。せめて幸せな転職になってほしいと願う。

今後の自分が直面する現実がまだよくわかっていない。わかりたくないのかもしれない。