4月のはじめ

気がついたら4月だった。

 

◯2月〜3月とずっと苦しかった。精神の不安定さが普段より激しかった。でもずっとずっと苦しいのだと思う。わたしは物事の悪い面ばかり見て嘆く。他責する。自責する。周りに当たり散らす。自分が安心するために他人を見下したり心の中で罵倒したりする。きっと落ち着くことはないのだと悟った。

 

◯日記を書こうとしたことは何度もあったけど、書きたいことのすべてを書ききることはできないと思うと書けなかった。考えごとは日々浮かんでは消える。網羅的に全てを書きたい。そんなことは不可能。

 

◯苦しい間、縋るように本を買い漁ったこともあった。本屋に行く気力がなくて、Kindleで哲学の入門書などを買って読んだ。先週、久しぶりにジュンク堂に行けて、人文学の本棚に立ち寄ったら、その本の並びにわくわくした。そこで購入した岸政彦著『街の人生』を読み終わり、今日から『断片的なものの社会学』を読み始めた。スマホで文章は日々読んでいるはずだけれど、雑多な情報を読み漁ることと、紙の本を読むことは違うように感じる。本を読んでいると頭の中の引き出しの整理をしているような気分になる。ばらばらになった書類を整理するような清々しさがある。一人の著者のテーマのある文章を、順番に読んでいくのがいいのかもしれない。

 

◯岸政彦氏がテレビで『普通』という言葉を『その人のありのまま』という意味で使うと語っていた。わたしが普段思う『普通』はそれとは全く異なる意味で、その『普通』にいつも苦しんでいたから、わたしもそっちの意味の『普通』を使いたくなった。

『街の人生』のまえがきでも印象的な文章が並んでいて、みんな選択しているようで、与えられた選択肢の中から選んで生きるしかなくて、自分の目の前の人生を生きるしかなくて、引用したいけどいま手元に本がないのでもし気が向いたらあとで。

 

◯わたしはわたしのために、わたしの『普通』の人生を生きて、その『断片』を日記に書いていこう。