空虚

12月13日水曜日

 

昨夜も寝付けずに夜更かししてしまった。なんとか起きて身支度し、買い物に出た。頼まれたものを買い、冬物のコートを買い、本屋に寄る。どの買い物も上手く進められず時間がかかる。同僚のための寄せ書きに使う本を購入したが、迷って買わなかった方にすべきだったと後悔した。

 

 

朝から機能性ディスペプシアと会食恐怖を抱えながら生きることを考えて暗い気持ちになっていた。他人が普通にできることができない。フルタイムの会社員として生活する人たちができるであろうことができない。私のような人間はせめて健康でいないと、ほかのマイナス面を補えないのに、先日の食事会で全然回復していないことに改めて気付かされた。回避していただけだった。もうこんな生活が8年は続いている。ずっとこのままなのか。発作のときの意識が遠のくような感覚を思い返す。

 

 

普通が羨ましい。学生時代からずっと普通が羨ましかった。普通になりたい。生きてていいと思いたい。自分の人生を肯定してみたい。私はいつもずれていておかしくなってしまう。普通なんてないとか比べなくていいとか自分で生きるしかないとかそんなのは頭では分かっている。けれど普通になりたいという気持ちを否定して押さえつけても、なくなってくれない。

 

 

食べ物も飲み物も、いつも向き合うときには恐怖が前提としてある。何気なく選べない。自分の中の体調とルールにそって不可なものは視界から除外して、可能な選択肢の中から選ぶ。他人からものを勧められるとき、メニュー表に自分が飲食できるものが何もないとき、人と同じことができない、他人に異常を開示してしまうことに毎回小さく絶望する。取り繕う努力も不自然で、変な空気が流れる。そのひとつひとつの積み重ねに、じわじわと何かが染み込んでくる。

 

人は人と関わらないと生きていけない。それなのにわたしは人と関わることに困難な要素をたくさん持ってしまって、何ひとつまともに平均点レベルにできることなんてなくて、みんな様々なことを抱えて、必死に頑張っているのかもしれないけれど、そうしたら私の苦しみはなくなることになるのか。基本的なことが不足したまま歳を重ねることはつらい。

 

思考がいつもよりおかしくなってる。胃もおかしい。朝昼食べないで夜食べて、気持ちが悪い。みんなが食べているものを同じように食べたい。気兼ねなく好きなものを選びたい。食べることに恐怖を感じないようになりたい。

 

どこに行き何を購入したかまで全て母に報告しなければならないことに辟易した。そんなつもりはないのかもしれないが、私は母の人生のおまけとしてしか存在しない。

 

図々しく生きているはずなのに、自分がどこにもない。他人のための自分しかなくて、自分のための自分がどこにもいなくて空っぽ。空虚。

 

 

自覚

12月12日火曜日

 

夕方、大学のときの先生に会った。試験合格のお祝いを本当に渡してくれた。かわいい色のボールペン。先生にとっては何気ないことかもしれないけれど、こんなふうに私を個人として認識して、関わってくれる人なんてあまりいないので有り難く、そして居た堪れない気持ちになる。

会話だって本当に思うことは言えない。こう答えるのが正解かな、を繰り返して、結局は薄っぺらい受け答えしかせず、一貫性はないだろうし、何より相手に不誠実。けれど癖みたいなものだから無意識に口から出てくる。居た堪れなくてそわそわしてそれも不自然。それで人とうまく関われないとか言ってておかしい。当然のことだ。

私は誰かのおまけとしてしか他人と関われない。主体的に『自分の人生を生きている』人がいて、主人公はあくまでその人で、私はその人の人生に、偶然くっついた葉っぱみたいな感じで薄く関わる。そんなふうにしか私は存在しない。その人のコミュニケーションに乗っからせてもらう。視界に入るだけ。私は主体にならない。気まぐれにどさくさに紛れて関わってるように見えたり見えなかったり。けれどこんなのは普通ではないから異質で、『気持ち悪さ、気味悪さ、不快さ』になって伝わるのだと思う。だから好かれるどころか大体人に嫌われるし、親しくならない。

 

夜は集まりに参加。もう全然信じられていないことに気づいた。正しいことを、そう思えない自分を自覚する。私は皆みたいにはなれない。ひたむきにも純粋にも誠実にもなれない。正直な気持ちを見ないふりして、言われた通りに動き、こう感じるべきだということを感じるように言い聞かせてるけど、それすら上手くできないで結局中途半端。

 

 

モアザンワーズを最後まで見終わる。

いちばんすきな花はあと1話で追いつくところまできた。

 

 

人とどんなふうに関わったらいいか、全く分からない。

 

 

残業

12月11日月曜日

 

22時まで残業。終電。

 

急ぎの業務が終わらない。毎年恒例で、それ単体ですでにぱんぱんになるもの。今年はシステムを新しくしたので作業に不慣れであるし、しかも年明けには別システムの入れ替えがあり準備を進めなければならない。それだけでも乗り越えられるか不安に感じていたのに、まさかの同僚の退職が重なった。毎日毎日、どうしようと思い答えが見つからず動揺している。仕事が手につかない。なのに真剣に捉えている人が他にいない。直属上司はそのヤバさに気づいているようだけど、来たばかりで全体がわからなすぎる。辞めていく同僚にフォローに入ってもらってようやくできるかできないかというところだった。まさか辞めるなんて思えなかった。思いたくなかった。

不正解

12月10日日曜日

 

仕事が思うように進まなかった。打ち合わせでは諸問題が露呈し、そもそも起こりうる問題の洗い出しすらできていないと思う。ゾクゾクするな…と同僚と話していたら上司が『ゾワゾワしてきた…』と呟きながら戻ってきて笑った。

 

引き継ぎや今後の体制をどうするかが本当に見えてこない。多分やばさを実感できるほどの材料がないだけ。

 

同僚からは自分の持ち場を守れと言われる。確かにそうだ。私の担当領域まで揺らいだら世話ないね。

 

 

 

夜はむりやり定時に上がって職場の女性だけで食事会。同僚の退職にショックを受けた子を励ます会だと思っていたけれど、その話題には殆ど触れずにとりとめのない会話。私の健康状態を気遣ってもらいありがたく申し訳ない。けれど機能性ディスペプシアと会食恐怖をうまく説明できず、ただの内臓の弱い人間となっている。そしてやはり途中から吐き気、意識が朦朧としてきて、なんとか耐えたけれどうまく受け答えができていたか覚えていない。

 

皆笑顔で話しているけれど、心の中は見えない。本心は見えない。何を本当は感じているのかわからない。皆いろんな考えを持ち、それぞれ間違っていない。みんな正しいと思う。けれど時にそれが両立しえないものだったりして、好き嫌いや意見の相違となる。どれも正しいと思うのに、一方を選ぶともう一方は正しくなくなる。どれが正解か分からない。どれを選べばいいかも分からない。ずっとずっとそれが苦しくて悲しい。そうやって自分では何も選べず決められないでいる。どうしてこうなんだろう。

 

人と距離をとりたい。人と親しくなれない。関わりから逃げてしまう。けれど人は一人では生きられないし、孤独はつらい。嫌われるのがこわい。面倒から逃げているだけなのかもしれない。

 

自分にも周りにも、自分の思うひとつの誠実を尽くすしかないのだと思うけど、それは同時に誰かを傷つけたり、誰かにとっての間違いなんだと思うと気が遠くなってくる。どうしたらいいか分からない、理解と納得ができない。

 

 

上澄

12月9日土曜日

 

 

昨日1時近くまで起きていたせいでずっと頭がぼーっとしていた。けれど仕事はあるので進める。脳みその上澄みだけで考えている感じ。21時まで残業。日曜は絶対残業ができないのに終わる気がしない。

 

新しい上司に状況を聞かれたので、今後一緒に仕事する同僚への不安や今後の対策案を伝えた。けれど自分自身がポンコツすぎるのを伝え忘れた。それが一番不安なこと。上司はもう気がついているかもしれないけれど…

 

辞めていく同僚からは『それでコミュニケーション能力があったら周りに敵なし』のような意味のことを言われる。それ褒めてない。人としての基本の能力がない。だから困ってる。

 

ただ彼はこれまでずっと苦しそうだった。転職が決まって、今はとても晴れやかな顔で次の仕事を楽しみにしていて、結果迷惑をかけることに、色々言われることにも覚悟を決めている様子だった。中小企業で社内の根回しに明け暮れるより、新しい環境で生き生きと働けるのならそれがいいことだと思う。

 

インターンの女子が同僚の退職の旨を聞いて泣いていた。そりゃ、マンツーマンで教えてもらってた相手が辞めるとなったら泣くよ。彼女は今回辞める彼を管理職にするために、マネジメントの経験を積ませるために採用した。中小企業ってこういう感じなんですよ。誰も世話する余裕がない。そもそも私は担当業務が違いすぎる。業務似通ってる同僚はもっと余裕ない。どうすんの。

 

辞めると決まって、管理職でもないのにこんなに困るということは会社として組織のあり方が間違っていたのだと思う。管理するポジションでもありプレーヤーという稀有な存在。いないならいないで回していくしかない。革新的な施策は打てず、令和の世に昭和平成を引き摺った会社になると思う。

 

睡眠時間を確保するため帰宅してすぐに寝た。

 

退職

12月8日金曜日

 

残業。頭が働かない。遅い時間は電車の本数が少なくて、乗り換えで30分待った。帰宅してアマプラでモアザンワーズの続きを観る。

 

 

頼りにしていた同僚が月末で退職することになった。新卒で入社して経験を重ね、いよいよこれからというとき。中小企業には中途で同じような人材を採用できるほどの魅力も財力もない。彼の業務を引き継ぐ予定の人間が、まったく引き継げる気がしないと思っていたら、辞める本人も無理っぽいと言っていた。やっぱそうだよね。

 

 

私にとっても業務上でも精神的にも頼り切っていたところがあったので年明けからやっていけるか不安。大した役職も与えず、その状態にしておいたのがいけなかったね。

 

彼の退職がなくても乗り越えられるか不安な案件があったのに、その矢先にこんなことになった。直属上司は先月畑違いの部署から異動してきたばかりで、うまく回らなかったら元の部署に戻る約束。もう一つ上の上司は簡単ではない病気で手術が必要でいつまでいるか分からない。多少専門的な知識も必要な部署だから他に話がわかる人がいない。隣接部署とのコミュニケーションは微妙。四面楚歌。

 

 

 

依存

12月7日木曜日

 

起こった出来事に対して自分が何を感じているのか分からなくなった。こういう時はこの反応が正解ですか?と心の中で問いかけながら反応する。相手の行動は無責任だと感じるけどそんなことないのだろうか。

 

他人に依存して、他人に乗っかって生きてきた。いざその他人と離れることになると、すべてがゆらぐ。自分の足で立つということを知らない。したことがない。ずるい生き方。自業自得だ。家族の顔にうんざりと書いてあった。私もうんざりしている。でも私は私から離れられない。

 

私は私でしかないのに。

自分で考えて、自分決めて、自分で行動して、他人の正しさを借りないで、他人を言い訳に使わないで、自分の身の丈で生きるしかないのに。