自覚

12月12日火曜日

 

夕方、大学のときの先生に会った。試験合格のお祝いを本当に渡してくれた。かわいい色のボールペン。先生にとっては何気ないことかもしれないけれど、こんなふうに私を個人として認識して、関わってくれる人なんてあまりいないので有り難く、そして居た堪れない気持ちになる。

会話だって本当に思うことは言えない。こう答えるのが正解かな、を繰り返して、結局は薄っぺらい受け答えしかせず、一貫性はないだろうし、何より相手に不誠実。けれど癖みたいなものだから無意識に口から出てくる。居た堪れなくてそわそわしてそれも不自然。それで人とうまく関われないとか言ってておかしい。当然のことだ。

私は誰かのおまけとしてしか他人と関われない。主体的に『自分の人生を生きている』人がいて、主人公はあくまでその人で、私はその人の人生に、偶然くっついた葉っぱみたいな感じで薄く関わる。そんなふうにしか私は存在しない。その人のコミュニケーションに乗っからせてもらう。視界に入るだけ。私は主体にならない。気まぐれにどさくさに紛れて関わってるように見えたり見えなかったり。けれどこんなのは普通ではないから異質で、『気持ち悪さ、気味悪さ、不快さ』になって伝わるのだと思う。だから好かれるどころか大体人に嫌われるし、親しくならない。

 

夜は集まりに参加。もう全然信じられていないことに気づいた。正しいことを、そう思えない自分を自覚する。私は皆みたいにはなれない。ひたむきにも純粋にも誠実にもなれない。正直な気持ちを見ないふりして、言われた通りに動き、こう感じるべきだということを感じるように言い聞かせてるけど、それすら上手くできないで結局中途半端。

 

 

モアザンワーズを最後まで見終わる。

いちばんすきな花はあと1話で追いつくところまできた。

 

 

人とどんなふうに関わったらいいか、全く分からない。